昭和49年10月23日 朝の御理解
●13、②、④、⑦
御理解第1節
「今、天地の音の開ける音を聞いて目を覚ませ。」
天地の開ける音と、あまりにもすさまじい音ですから、なかなか聞き取れない、それが事実だろうと思うんですね。あまりにも大きな音ですから、それが音が音と分からない、ね、信心は、私はいつも天地の開ける音を聞いて目を覚ましたところから生まれて、そして、成長していく信心でなかなければ本当の信心( ? )。
例えば、昔の先生方、お弟子達に言うておられた、お取次ぎをさせて頂くなら、まず、いっぺんは神の声を聞けというふうに、じゃないと神様があるやらないやら分からないと、という訳ですね、神の声を聞けと、または、●13 教祖様の御信心の進歩の後と言うか、進まれていくその過程において、次第に御神号が変わっておられます、中に、拍手神文(かしわでしんもん?)というのがあります、教祖様がご神前でこう(拍手をされ)パッとこう拍手をされますと神様がお扉をこう開けてくださった、ね、●。
私も以前そういう体験を何回もさせて頂いた、だから、神様がその氏子が来たら、もうすぐこう扉を開いてくださるほどしの、いうなら神様と私共の仲というものが生まれてこなければいけない、どんなに清らかな( ? )拍手を致しても開かない、● ② 御心眼に頂くと片一歩だけは開いたけれども、片一歩がどうしても開かないという、一心にお詫びをさせて頂いて、お願いをさせて頂いてようやく両方ともこう開いたといったようなお知らせを頂いたこともありますがね。●
最近など、最近と言うか、もう、もう、● ④ 私がまあ四時の御祈念をさせて頂くようになって此の方は、私はこの拍手もよう打ちませんです。それは、勿論四時の御祈念を奉仕します30分前には控えに出てきてますから、もう自分の心を神様に向け続ける、そして、その四時のもうきっかけにです、ご神前に額ずかせて頂く、額ずかせていただいた時には神様が、まあ、もう扉をもう開いて待っておって下さるという感じです。もう、いうなら、神様と私の、いわば、話し合いが始まるというような感じです、まあ、その事はなかなかお話、みんなしにくいですけども、まあ、分かりやすく言うとそういうことです● ですから、私は天地の開ける音を、ひらっ、天地の開ける音というのは、私は、私共が開かなければならないということです、ね、ある意味では私共が開かなければならない、それはどういうことかというと、心を開くという事だと思うんです、それは、宗教的に言うと、まあ、悟りというですねかね、● ⑦(他宗)仏教的に言うと悟り、心に悟りを開くということです●、ね、それもです、私は今日は天地の開ける音というふうに皆さんに聞いて頂きたいと。
お話を頂いて、ここに、あの、先日から、うん、早川さんがある日突然というふうに、ね、本日突然神のお知らせがあるという、9月の18日に神様のお言葉を頂いて、それ以来、もう毎日もう勿体無い、もう素晴らしいことを頂き続けて、こうノートしております、それでこの頃、皆さんに持っていっておられる、18日の本日突然神のお知らせが、それに神のおかげは和賀心にあり、和らぎ賀び頂く心、それこそが金光教の真の心であるというふうに頂いてるんですね、ですから、皆さんが毎日、なら天地書附を奉唱しておられますね、生神金光大神、ちょっとそれとは違いますけれども同じ事です、おかげは和賀心にあるとそれを聞いた時に、はぁー本当にそうだという事になったらね、それが、心の目がもう開けた時です、だから、もう和賀心になることだけしか考えない訳です、聞いただけ、聞く耳をもっておってもね、聞いただけではつまらん、ね、それが翻然としたものになってこなければ。
皆さんの日にちを例えば、皆さんの、いうなら、生活なら生活をです、何が支えになっておるか、自問自答してみてごらんなさい、それはやっぱ金やら物やら、やっぱり人と人、人という磁石(じしゃく?)支えおうておるというからやっぱり人の支えがあってから、ね、果たして、なら人が支えになっておるだろうか、自分も人の支えになっておるだろうか、本当に金やら物だけが支え、それでいいだろうか、ね、まだそういう程度の時にはね、いわゆる、心の目が開けたとは言えないんです、どうということはありません、信心を頂いてどの御教えということはありません。
私の遠い親戚になります、今ブラジルに行っております、池尻というんですけども、先だってこちらへ帰ってまいりまして、もう、何十年間は大変難儀をしました、ところがあちらでは生長の家が非常に発展しておるそうです、成長の家の会合に出て話を聞いて、初めて聞いたお話が、先祖を大事にせろということだったそうです。もう今まで自分が先祖のことなんかは考えた事もなかったのがもう本気で先祖を大事にするようになった。だから、いうんですよ、もう先生、もう先祖さえ大事にしたら人間は幸せになりますよと言えれるほどしに、それからいろいろな事が順調になって、現在、まあ、一角の事業をさせて頂いておる。ね。
そして、こちらへ参りましてもその事ばっかり言ってましたけれども、ある朝の御祈念にお参りをしてきて、朝の御祈念に、いうならば、天地の御恩徳の御理解を頂いてです、また一段大きく心の目が開けたというて帰りましたけれどもね、いうならば、本当に先祖を大事にする、例えばこの早川さんが頂いておるこの御教えの中にもね、その事があるんです。
ちょっと、え~、● ② 代々の親はわが家の神、わが心と心尽くしてみずき奉れと、ね、親はわが家神だと、だから、それをみずき奉れと、ね、奉祭せろと御霊様の奉祭をせよと言う事を頂いた、●、だから、それを頂いただけじゃなくて、本当にそうだと、私はあの、改式をしなければ家が助からなければ、家の本当の発展はないということを聞いたときに、もう早速、親先生にお願いをして、それを本当にそうだと思うたから改式のおかげを頂きました。聞いておってもそれを実行しない、それは私は、ね、いかに天地の開ける音を聞いてもです、目が覚めたということになっていない、目が覚めなければいけません、ね。
みなさんの心の支えというものが、ね、一つ何が皆さんの心の支えになっておりますか、格好、心だけの支えだけではなくても良いですね、日にちの、いうなら支えは、例えば、金さえあれば、物さえあれば健康でさえあればと、私は今日のこの開ける音を聞いて目を覚ますという事はいつも自分の心の中にです、私を支えておるもの、私の一家を支えておるものはもう神様の御教えだと言う事になった時に、私は天地の開ける音を聞いて目を覚まして本当におかげが受けられる時だと思うんですね。
教えが私の心を支えておるのです、ですから教えを外したらもう心は乱れたり倒れたりする訳です、ね、だから、教えを外されんのです、教えが皆さんの、いうならば、心を支えておるというほどしの所になった時に初めてお道の信者ということが言えるのであろう、今の天地の音を聞いて目を覚ました人の姿だというふうに私は思います。
今日はよか話を聞いたというだけでは、もう、その教えがいつも私の心の中に、心のいつも支えになっておるという事です。もう、これならば絶対の道が開けるでしょう、絶対の幸せの道が約束されるでしょう、ね、皆さんの心の中を、心を支えておるものは我情我欲が支えておる、ね、なるほど、我情我欲ででもです、心は支えれんことはありません、ね、ずるい心が、ずるい心がです、あんたの心を支えておっても、それは支えにならんことはありません、いつもずるいことばっかり考えておるのですからそれが支え、ね、これは、しかし、絶対という事ではないです、ほんとうの、いやば、幸せにはなれない、支えてはおっても、ね、ずるい心がいつも自分の心を支えておる、ね。
● ⑨ 皆さんの心を支えておるものがです、ね、例えば、ね、もう、う~早川さんが頂いておられる、その、神様の、和らぎ喜ぶ頂く心、それが金光教の真の心だと、だから、その真の心というものをです、まあ、私共が和らぎ喜ぶ心に支えられておる時なのです、また、なら和らぎ喜ぶ心になることに精進しきっておる心がです、私の心をいつも支えておる、これならば絶対のお徳もおかげも、いやば、人間の幸せの条件のすべてがたらうのですこれなら、ね。●
今日は私はここんところに本当に皆さんに聞いて頂きたい、果たして自分の心はどういう心が自分を支えておるのだろうか、ね、はぁーいつも朝から晩まで金光様、金光さまという、その金光様に支えられとると言うただけではあまりのことです、金光様が教えてくださったこの御教えが私をいつも支えておる、しかも金光教の信心の芯であり、真の心というのは和らぎ喜ぶ押し頂く心だと、ね、ところが、そういつも和らぎ喜ぶ押し頂く心がないのですけれども、和らぎ喜ぶ心をもって自分の支えにしたいという願い、ですから、和らぎ喜ぶ心をいつも求める心が自分の心を支えておるという事になりましたら、ね、これは、人間の幸福の条件のすべてがたらうのです、足ろうて来るです。ね。
みなさん、我情我欲でも心は支えられます、ずるい心ででも自分の心を支えることは出来ます、だから、いつも我情我欲のことを思い続けておかなければいけません、どうしたならば、その、ね、儲け出すじゃろうか、儲け出すためにはもう人の手は叩き伏せてからでも、いやば、隙があるならばそういうことも平気でやろうという事を心に思い続けとかにゃいけん、心を支える事はできん、または、我情我欲を満たす事も出ましょう、けれども、これは人間の幸福の条件はたらいません。
金やら金に執念すれば金だけはたまるかもしれません、億万の金が溜まった、もう終着駅に近づいた自分に気がついたんじゃもう遅い、はぁーお金では人間の幸せは買えないということが分かる、ね、根性が悪い、人は根性の悪い事ばっかり考え時はです、自分の心を支えることは出来ます、そして、あの人は根性が悪いからというて人から敬遠されるとか、または、その、上辺だけは言われるかもしれません、まあ、チヤホヤされるかも知れません、そのことだけを考えて、ね、名誉なら名誉、地位なら地位、もう私の生きがいはそういう地位なら地位を生む事だということがです、いつもそれが自分の心の支えになっとるから気張りもする頑張りもする、なるほど地位は出けた、地位はでけたけれども、なら人間の幸福の条件はそれだけではないという事、ね。
だから、幸福の条件のすべてがです、ね、これは絶対です、開けてくる、ね、第一貧乏がなくなる、争いがなくなる、ね、病気がなくなる、真善美の世界に住むことが出来る、そういうおかげの頂けれるような教えをです、自分の心の支えにしたい、ね、和賀心が金光教の信心の芯であり、真の心であると、例えば皆さん今日聞いて頂いた訳ですから、ね、だから、それがあなた方の心の支えになっておるというようなおかげを頂かれて、いつも絶えずその事の精進を怠らない、ならば必ず、ね、人間の幸福の条件のすべてが足ろうて来るおかげが頂けれる、それを、例えば、はぁー本当にそうだなあと今日思われた方は心の目がもう開きかかったんです、それを行の上に現してです、それを実際にお行のです、体験が生まれてくるに従ってパッチリ開いてくるでしょう、なるほど、もう和賀心以外にはないだともう思い込める絶対真が生まれてくるでしょう、ね、その和賀心、その真の心をですいやがおの上にも、本当なものにしていくことのために、日にちの朝参りもあれば、ね、この御教えのすべてがあるというても良いのです。ね。
今日はそこん所を聞いて頂きたい、そして、目を覚まさして頂きたい。ね、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ、特別にです、ね、それこそ、まくろずけのようにジリン・ジリンと言うた音がするわけじゃないですからね、それがどうも、その、教えを頂いて、心がすっきりと、こう目を覚まさせていただける、それを、今日私は自分の心を今支えておる心、支えておるものは何かといっぺん一つ追求してみて、ね、信心の心も時々は教えを頂いて、はぁー今日はもうこの教えでいこうという風にその教えが支えになる事もあるけれども、ある時にはもう我情で我欲で一杯でそれが支えておるといったような事ではです、ね、いつまで経っても本当なおかげにはなりません。
もういつも私の心を支えておるもの、それは金光教の信心の芯である所の和賀心、ね、こう言う場合にどうしたら喜べれるだろう、こう言う場合にどうしたならば和らいだ心になれるだろう、その事を追求し続ける心が私の心を支えておるということになったら、● ⑦ 初めて金光教の信者だ、信奉者だといえれると思いますね。●
どうぞ。
平成17年9月8日
末永静行